最高裁判所第三小法廷 平成5年(オ)950号 判決 1994年2月08日
上告人
甲野花子
右訴訟代理人弁護士
岡崎守延
被上告人
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
村田由美子
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人岡崎守延の上告理由について
原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(1) 上告人(昭和一三年九月一〇日生)と被上告人(昭和一一年九月一五日生)は、昭和三九年二月二八日婚姻の届出をし、同四〇年八月一四日に長女Aを、同四二年八月一〇日に長男Bを、同四五年七月一三日に二男Cを、同五〇年一二月一六日に三男Dをもうけた。
(2) 被上告人は、会社の経営に行き詰まり、昭和五四年二月八日に家出して行方をくらました。上告人は、四人の子を育て、被上告人の帰りを待っていたが、子らが幼いため仕事も思うようすることができず、自宅も競売に付され、ついに生活保護を受けるに至った。一方、被上告人は、昭和五六年ころ二児を抱える乙野月子と知り合い、同五八年に同女と同せいを始め、現在勤務している会社には同女を妻として届け出ている。
(3) 上告人は、昭和六〇年六月ころ、被上告人が乙野及び同女の子らと同居している事実を知り、被上告人に対して再三にわたり手紙や電話で積年の恨みの気持ちをぶつけ、自分のもとに戻ってくるよう強く求めたが、被上告人は、かえって上告人への嫌悪感を募らせ、離婚して乙野と正式な婚姻生活に入りたいとする意思を一層固めるようになった。
(4) 昭和六三年九月に被上告人に対し婚姻費用として毎月一七万円(ただし、毎年七月は五三万円、一二月は六五万円)の支払を命ずる家庭裁判所の審判がされた。その後、被上告人は、上告人に対し、毎月一五万円(毎年七月と一二月は各四〇万円)を送金している。
(5) 被上告人は、いまや上告人との同居生活を回復する意思を全く持っておらず、強く離婚を望み、離婚に伴う給付として七〇〇万円を支払うとの提案をしている。上告人は、三男Dを養育していく上では父親の存在が欠かせないとの理由で離婚に反対している。長女Aは平成元年三月一九日に婚姻し、長男B及び二男Cも既に成人して独立している。
ところで、民法七七〇条一項五号所定の事由による離婚請求がその事由につき専ら又は主として責任のある一方の当事者(以下「有責配偶者」という。)からされた場合において、右請求が信義誠実の原則に照らしてもなお容認されるかどうかを判断するには、有責配偶者の責任の態様・程度、相手方配偶者の婚姻継続についての意思及び請求者に対する感情、離婚を認めた場合における相手方配偶者の精神的・社会的・経済的状態及び夫婦間の子、殊に未成熟の子の監護・教育・福祉の状況、別居後に形成された生活関係、たとえば夫婦の一方又は双方が既に内縁関係を形成している場合にはその相手方や子らの状況等がしんしゃくされなければならず、更には、時の経過がこれらの諸事情に与える影響も考慮されなければならないものというべきである(最高裁昭和六一年(オ)第二六〇号同六二年九月二日大法廷判決・民集四一巻六号一四二三頁参照)。したがって、有責配偶者からされた離婚請求で、その間に未成熟の子がいる場合でも、ただその一事をもって右請求を排斥すべきものではなく、前記の事情を総合的に考慮して右請求が信義誠実の原則に反するとはいえないときには、右請求を認容することができると解するのが相当である。
これを本件についてみるのに、前記事実関係の下においては、上告人と被上告人との婚姻関係は既に全く破綻しており民法七七〇条一項五号所定の事由があるといわざるを得ず、かつ、また被上告人が有責配偶者であることは明らかであるが、上告人が被上告人と別居してから原審の口頭弁論終結時(平成五年一月二〇日)までには既に一三年一一月余が経過し、双方の年齢や同居期間を考慮すると相当の長期間に及んでおり、被上告人の新たな生活関係の形成及び上告人の現在の行動等からは、もはや婚姻関係の回復を期待することは困難であるといわざるを得ず、それらのことからすると、婚姻関係を破綻せしめるに至った被上告人の責任及びこれによって上告人が被った前記婚姻後の諸事情を考慮しても、なお、今日においては、もはや、上告人の婚姻継続の意思及び離婚による上告人の精神的・社会的状態を殊更に重視して、被上告人の離婚請求を排斥するのは相当でない。
上告人が今日までに受けた精神的苦痛、子らの養育に尽くした労力と負担、今後離婚により被る精神的苦痛及び経済的不利益の大きいことは想像に難くないが、これらの補償は別途解決されるべきものであって、それがゆえに、本件離婚請求を容認し得ないものということはできない。
そして、現在では、上告人と被上告人間の四人の子のうち三人は成人して独立しており、残る三男Dは親の扶養を受ける高校二年生であって未成熟の子というべきであるが、同人は三歳の幼少時から一貫して上告人の監護の下で育てられてまもなく高校を卒業する年齢に達しており、被上告人は上告人に毎月一五万円の送金をしてきた実績に照らしてDの養育にも無関心であったものではなく、被上告人の上告人に対する離婚に伴う経済的給付もその実現を期待できるものとみられることからすると、未成熟子であるDの存在が本件請求の妨げになるということもできない。
以上と同旨に帰する原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、右と異なる見解に立って原判決の違法をいうものであって、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官園部逸夫 裁判官佐藤庄市郎 裁判官可部恒雄 裁判官大野正男 裁判官千種秀夫)
上告代理人岡崎守延の上告理由
原判決には、以下の点において、法令の違背が存在する。
一 原判決は、民法第七七〇条一項五号の解釈適用を誤った違法が存在する。
1 本件は、いわゆる有責配偶者からの離婚請求の事案であるが、民法第七七〇条一項五号が、原則として有責配偶者からの離婚請求を排斥する趣旨であることは、基本的に争いのないところである。
2 併し、有責配偶者からの離婚請求であっても、別居期間が極めて長期に及んだ場合は、一定の条件の下に、離婚請求を認める場合もありうるとするのが、従前の判例の立場となっている。
3 本件は、原判決が認定した事実によって明らかなように、被上告人に夫婦関係の破綻に関する有責性が認められるが、他方で別居期間も一定の期間に及んでいるという事案である。
原判決は、右の関係に付き「有責配偶者である控訴人からの本件離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するとまではいえず、本件離婚の請求が信義誠実の原則に反して許されないということはできない。」として、被上告人の離婚請求を認容したものである。
4 併しながら、本件の具体的事実関係を見た場合、未だ被上告人の離婚請求を社会正義に反しないものといえる実態は見られないのであり、かかる事案について離婚を認容することになれば、これは結局民法第七七〇条一項五号の従前からの判例の立場にも反することとなるのであり、この点において原判決には法令解釈の違法が存在するものである。
5 この点を、以下原判決の認定した事実にしたがって、具体的に述べるものである。
二 本件の別居の特殊性について
1 本件では、確かに別居期間は約一四年間という一定の長期に及んでいるところではあるが、その可成りの期間は被上告人が上告人を欺いて行方を隠しつづけたものであり、そこに本件の最大の特徴があるものである。
2 即ち、被上告人は昭和五四年二月八日に、上告人に「東京へ行く。帰りは遅くなる。」とだけ言い残して家を出て、以後は全く行方を隠したものである。
ところが、被上告人はその後横浜で正職に付き、昭和五六年ごろから訴外乙野月子と親しく付き合うようになり、同五八年からは実質的夫婦として同棲を始めたものである。
3 上告人は、住民票の移動から、昭和五九年八月に至り漸く被上告人の所在を知ったが、上告人が連絡を取ろうとすると、被上告人は忽ち転居して又々所在を隠してしまった。
上告人は、昭和六〇年六月に至り、厚生年金の関係から漸く被上告人の職場を突き止め、連絡が取れるに至ったものである。
4 この様にして、被上告人の家出自体が上告人を欺いた形で始まり、しかもその後被上告人は一貫して上告人に所在を隠しつづけ、上告人が被上告人に連絡を取れるようになるまで、実に六年半の歳月を要しているものである。
5 他方、その間上告人は、ひたすら被上告人が何時かは帰ってくるものと信じて待ち続けているところである。
6 かかる事実関係を見た場合、これを一般の別居事案と同一に論じることが出来ないことは極めて明白である。
被上告人はひたすら上告人に所在を隠しつづけながら、所在が知られた途端離婚を請求するなどは、到底社会正義に合致する態度とは思われないものである。
三 行方不明中の上告人が置かれた状況について
1 右に述べた被上告人の所在不明の間、上告人が置かれていた状況は、余りにも過酷なものであった。
2 そもそも被上告人の家出時点において、上告人は四人の子供を抱えた状態であり、一番上の長女でも中学一年生であり、一番下の三男はわずか三歳であった。
かかる状態で、いきなり一家の主たる被上告人が突然行方を隠し、上告人は忽ち母子五人の生活の維持すら困難な状態に追いやられた。
3 のみならず、被上告人は右家出時点で多額の負債を残しており、その中には所謂サラ金からの借金も含まれていたところ、被上告人の家出直後からサラ金業者が上告人の家に押しかけるという事態が連続し、上告人一人でその対応を余儀なくされた。
4 四人の子を抱えて、女性の身でサラ金業者への対処もしながら、家族の生活を維持せねばならない状態に置かれた上告人の立場は、筆舌に尽し難い辛苦の連続であったと思われる。
5 他方、被上告人は上告人が右の如き状態に置かれることは容易に想像できたに拘わらず、なんらこれに手を差し延べず、ひたすら上告人から身を隠すことのみに終始したのであり、その態度は著しく不誠実である。
6 上告人は、新聞配達、ベビーシッター等の仕事で母子の生活を維持しながら家庭を守りつづけたが、遂に自宅も競売にて失い、已む無く生活保護を受けて家族の生活を維持しつづけた。
この様に上告人がひたすら困難に耐えつづけたのも、何時かは被上告人が帰ってくるものと信じて、それを待ちつづけたからに他ならない。
7 かかる関係を見た場合、原判決が本件別居期間の長さのみにて離婚の成否を判断せんとしているのは、その実態を見誤るものであり、到底容認しがたい態度と言わねばならない。
四 扶養義務の履行について
1 被上告人は、右上告人に所在を隠していた期間は勿論のこと、その後も上告人に対し扶養義務を尽していない。
2 即ち被上告人は、上告人に所在が知られる昭和六〇年迄は、前記の通り上告人母子が極めて過酷な状態に置かれていたに拘わらず全く扶養義務を果たさなかった。
のみならず、上告人に所在を知られた昭和六〇年六月以降も、相当多額の給料を得ていながら全く自ら扶養義務を果たそうとはしなかった。
3 そこで已む無く上告人が横浜家庭裁判所に婚姻費用分担の調停を申立てたがこれにも応ぜず、審判が下されるやこれに抗告し、平成元年二月二二日に抗告棄却の決定がなされて漸く一定額の送金を始めたものである。
4 併し、審判決定では一カ月金一七万円、但し七月は金五三万円、一二月は金六五万円の支払額とされているのにも拘わらず、被上告人が審判を受けて送金してきた金額は、一カ月金一五万円であり、また七月と一二月は金四〇万円であってその支払額は決定より相当少なく、被上告人は審判決定すら守っていないのである。
5 また、この様に極めて不充分ながらも被上告人が上告人に婚姻費用を送金しだしたのは、実に僅か四年前からに過ぎないのであり、それ以前の別居期間一〇年間は、被上告人はこの扶養義務を一貫して履行して来なかったものである。
6 かかる被上告人の態度は、悪意の遺棄に該当すること当然であり、かかる事実がありながら離婚を認容することは、到底法の認めないところと言わねばならない。
五 不貞行為について
1 既述のとおり、被上告人は昭和五六年ごろから訴外乙野月子と親しく交際を始め、遅くとも昭和五八年からは同女と同棲を開始した。
2 この事実が上告人に対する不貞行為に該当することは当然であり、右の悪意の遺棄と併せて、被上告人は夫婦関係の破綻に関する二重の有責性を有していることが明白である。
3 そして、既述のとおり上告人は一貫して被上告人の帰りを待ちつづけ、訴外乙野の存在を知ってからもその気持ちは変わっていないに拘わらず、被上告人は逆に訴外乙野の存在を理由に離婚を求めることを公言しているのであり、その背信性は顕著である。
六 離婚に伴う給付について
1 原判決は、離婚に伴う給付として、被上告人が具体的で誠意ある提案をなしたと言うが、控訴審にて提示された金額は金七〇〇万円であり(被上告人の平成四年九月一日付準備書面六項)、これは本件の実質から見て何ら誠意ある金額とは言えない。
2 即ち、本件での上告人の経験した生活上の困難、長期の遺棄、被上告人の不貞行為を考えれば、慰謝料額のみでも金七〇〇万円は充分ではないし、併せて財産分与との関連が全く検討されていない。
3 被上告人は、少なくとも現在勤める丙株式会社から相当額の退職金を受ける立場にあり、また被上告人の給料の額からして一定額の預金が存在することが考えられる。
これらも併せ考えれば、右金七〇〇万円は極めて不充分な金額であることは明白である。
4 のみならず、被上告人は控訴審における本人尋問において、右金員の支払に付いてすら真摯な態度を表明しておらず(原審被上告人調書九項)、上告人及び上告人代理人は右供述を法廷で聞いて、その支払可能性自体に大いなる疑問を抱いたところである。
七 未成熟子の存在
1 従前の判例において、有責配偶者からの離婚請求が認められたのは、いずれも未成熟子が存在しないことが最低限の条件であった。
2 併し、本件にあっては、未だ高校生の三男が存在するのであり、この事実は先に述べた諸事情と併せ考えたとき、離婚請求の認容を阻止する条件となるものである。
八 結論
以上の諸事情より、本件にあっては、有責配偶者からの離婚請求は認められないという大原則に立ち返るべきであり、未だ離婚を認容すべき条件が整わない事案であるに拘わらずこれを認容した原判決には、法令解釈の違法が存在すると言わざるをえず、よってその破棄を求める次第である。
以上